僕が生まれた1964年(昭和39年)は日本人にとって欧米文化に対する意識が大きく変わったターニングポイントの年でした。
きっかけは東京で開催されたオリンピックです。

それまで単一民族として暮らし、言葉といえば日本語オンリーで事足りていた僕らの先輩方にとって、大勢の外国人が日本を訪れるこの一大イベントは、いろいろ悩ましい課題があったことでしょう。
大量の人が素早く移動できるように東京-大阪間で新幹線が開通した──なんて、大きな話ももちろんありますが、もっと身近な変化もたくさんありました。
例えば、当たり前ですが街の標識や表示は日本語で書かれているので外国の人には読めません。
そこで考案されたのがピクトグラムと呼ばれる絵文字です。

「そんなの知らない」というなかれ。
今でも公衆トイレに行くと男性用、女性用が一目でわかるマークが描かれていますよね。
あれがピクトグラム。
実は東京オリンピックに向けて考案されて、その後、世界中に影響を与えていくことになります。
家庭にテレビが普及するきっかけになったのも東京オリンピックでした。

日本のどこに住んでいても、"お茶の間"で競技をリアルタイム観戦できる体験に熱狂した人はたくさんいたでしょう。
「おい、昨日の女子バレーの決勝見たか?」
「見た見た、すごかった」
東京以外の地方の会社や学校でそんな会話を交わすのも日本人にとっては初体験だったに違いありません。
そんな変化は──食文化にも訪れました。
まず、選手村で提供された料理を契機に"洋食"文化が一気に浸透していきました。

それまで洋食と言えば『特別な時に食べる特別な料理』あるいは『洋画の中でだけ見かけるごちそう』というイメージが強かったのですが、徐々に一般家庭の夕飯のおかずにも登場するようになっていきます。
その最たるものはサラダですね。
それまで野菜を生で食べる習慣があまりなかった日本人が、多彩なサラダを楽しむようになったのがこの年です。
選手村では大量の食材を用意する必要があり、それを保存するために冷凍食品の技術も向上していきました。

今、僕らがお弁当や夕飯の便利アイテムとして慣れ親しんでいる冷凍食品も、ある意味オリンピック効果の産物と言えなくもないのです。
そして、海外からもそれまで見たことがなかった食べ物がもたらされました。
1964年、ドイツのクノール社が日本で“鍋で作るインスタントスープ”を販売開始しました。

日清のチキンラーメンが新発売されたのはそれを遡ること6年前の1958年。
このあたりの時期を境にインスタント食品はすさまじい進化と日常生活への浸透を始めることになるのです。
過日、ランチにインスタント的に作った冷製スープとうどんを合わせて冷やしうどん料理を作ってみました。
西洋が特別なものから普段着のありふれたものに変わっていったあの1964年から61年。

今では珍しくもない料理を、改めて特別な感慨とともに、しみじみといただきました。
【材料】(1人分)
-調理時間:17分([つゆパート]を冷蔵庫で冷やす時間は含めていません)-
- うどん:1玉(乾麺なら1束)
[つゆパート]
- かつお出汁:230g(約230ml)
- トマト缶(ダイスカット):100g
- 蕎麦の返し(または麺つゆ):大さじ1
- 塩:2g(小さじ1/3)
- レモン果汁:5g(小さじ1)
- (あれば)オレガノ:少々
【作り方】
- [つゆパート]を丼に合わせて冷蔵庫で冷やしておきます。
- うどんを茹でるお湯(分量外)を沸かします。お湯が沸いたらパッケージに記載されている時間+1分、茹でます。茹で上がったらざるに上げて、流水で〆ます。 ※冷やしにするとうどんは硬くなるので心持ち長めに茹でましょう。
- うどんをしっかり水切りして、1.の丼に入れます。そのまま冷蔵庫に戻して5分馴染ませればできあがり。
【一口メモ】
- とにかくスープが美味しいです。ただ、うどんとの絡みがイマイチだったのでスープにうどんを浸けて、馴染ませる手順に直しました。このレシピでは5分浸す手順にしていますが、時間に余裕があれば10分程度浸けてください。
- トマトのグルタミン酸と鰹出汁のイノシン酸を合わせて旨味成分の相乗効果を狙っています。種類の異なる旨味成分を持つ食品を合わせるとそれぞれの食品の旨みよりグンと跳ね上がる効果があるので、スープやソースを作る時はおすすめのテクニックです。
- かつお出汁は削り節から挽いても良いですが、一旦加熱してまた冷ますのがやや手間です。手持ちがあればだしの素を使うと常温で溶けるので手軽ですよ。最近は食塩、化学調味料無添加のものも出回っています。ちなみに我が家ではリケンの「素材力だし 本かつおだし」を愛用しています。

