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厨房日誌

創作の損得勘定について

今日はいつもよりもう少しエッセイっぽいものを書きます。

10年ほど前のことになりますが、東野圭吾原作、クドカン脚本のドラマ『流星の絆』にハマりました。

幼い頃に両親を刺殺された三人の兄妹が長じて詐欺師になります。

で、ある時そのターゲットに選んだ男の父親である洋食チェーンのオーナーこそが両親を殺した犯人かもしれないという疑惑が浮上するというなかなかスリリングな展開。

物語の中盤、ターゲットである洋食チェーンの御曹司が新店舗の看板メニューに長い間封印されてきた1号店開店当時のハヤシライスを復刻するというプランを進めるというエピソードがありました。

彼の父親は一旦それを許可するのですが、三兄妹が自分に迫っていることを察知して許可を取り消します(そのハヤシライスのレシピに事件を解くカギが隠されていたんですね)。

新店舗開店が迫った折りの理不尽な翻意に息子は当然憤るのですが、父親は彼にこう言い放ちます。

「プランが廃案になったことで今まで進めて来た努力が無駄になったと思うのならお前は料理人には向かない」

彼の翻意も逆切れ気味のセリフも理不尽極まりないのですが、このセリフは真理だと思います。恐らく作者の東野圭吾も何度もそういう経験を持っているのではないでしょうか?

例えば、丹念に取材を重ねて、せっせとミステリーの原稿を書いて間もなく脱稿と言う時にライバル作家の新刊が出たとします。

読んでみて愕然。中で使われているトリックが今書いている作品とまる被りしている!

こうなると今書いている原稿はボツにせざるを得ません。「本作はあの作品とは無関係。独自に僕が考案したトリックだ」といくら主張しても読者の失笑を買うだけです。

それこそ、上梓する前に気付いてラッキーくらいに思ってあきらめるしかありません。これ、架空のエピソードではなく東野圭吾の「仮面山荘殺人事件」のあとがきに「私は東野圭吾が嫌いだ」で始まる文章で書かれた実話のようです。

あとがきの作者さんはこの「仮面山荘殺人事件」とほぼ同じプロットの作品を書いていて東野圭吾に先を越されたようですね。お気の毒。

ま、こういった例でなくても編集者にボツにされたり、自信作として応募したのに一次予選落ちしたり、小説を書いている限りは世に出なかった作品と言うのは必ず溜まっていきます。

では、ボツになった作品にかけた取材の手間も執筆の時間も無駄だったのでしょうか?

答はNo。決してそんなことはありません。

そもそも作家にとって「無駄な知識」というのはありませんから、取材で得た情報はいつか別の作品で活用することができます。執筆を通して得たテクニック、情景描写、表現手法、名セリフなどは必ず次回作以降に活かされます。

数年前、北海道を旅行してその時見た景色をベースに一本短編を書きました。で、とある公募に応募したのですが……。

結構自信作だったのに一次予選落ち。

「せっかく、北海道まで行ったのに。あの取材は何だったんだ」と愚痴の一つも出そうになります。けど、物語を編むものとして取材や執筆を目先の損得だけで考えちゃいけないよなぁと考え直します。

料理でも同じこと。満を持してコンクールやコンテストに応募した皿が運悪く他の応募作と被っていて理不尽に落選なんてことも時にはあるでしょう。

けど、その料理を構築するまでに調べたり、勉強したり、実作して得た知識や技術がなくなるわけではありません。それは次の皿を作る時に必ず活きてくるあなたの武器になるのです。

トーマス・エジソン曰く

「失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ」

自戒を込めてこの言葉を胸に刻みます。

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2019/10/26 Sat.

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