「戦中・戦後の大変だった生活を強制的に聞かされる」──
昭和30年代界隈に生まれた僕と同世代にとっては“あるあるネタ”の一つかもしれません。
いたずらをして叱られるついでに昔話が始まるのは仕方ないとしても、特に何もない夕飯時に
「こんな料理でも、あたしが子供の頃はご馳走だった」
なんて語られると、せっかくのご馳走も喉を通らなくなったりして……。
子供心に理不尽だなあ、と思ったものでした。
僕の母(昭和19年生まれ)はそういう話をあまりしない人でしたが、「脱脂粉乳がまずかった」という話だけはなぜか何度も繰り返していたので、しまいには僕の耳たぶにタコができてしまいました(大嘘)。
幸いにも僕は飲んだことがないので実感はありませんが、とにかく牛乳とは雲泥の差で、とても飲めたものではなかったようです。
それでも飲んでいたのは、脱脂粉乳が給食に登場していたから。
これは牛乳から脂肪分を取り除いたもので、カルシウムやたんぱく質、乳糖は多く含まれており、栄養価は高め。
米軍からの援助物資として学校に配給されたものでしたが、子供たちには大不評だったようです。
栄養補給といえば、それ以外にも──牛や豚の供給が乏しかった時代には鯨肉がたんぱく源として給食に頻出したり、小松菜やほうれん草がビタミン源として活躍したり。
乏しい食料の中から、なんとか栄養を摂ろうと工夫がなされていたようです。
同時に工夫されたのが、「空腹を満たすこと」。
すいとん(小麦粉の団子入り汁)、おから・ふすま・芋類でのかさ増し。
少ない米でもお腹がふくれる“おじや”などが定番でした。
“栄養”と“腹持ちの良さ”に続いて、昭和30年代頃から注目されたキーワードが「スタミナ」。
元々はボクシング用語だったこの言葉は、徐々に一般的に普及し、「スタミナ料理」としてニラやにんにくが人気食材に。
香りが強くて敬遠されていた野菜たちが「元気の源」として堂々と食卓に載るようになりました。
このレシピも、味付けはシンプルながら、にんにくとニラを加えるだけで急に“スタミナ丼”らしく見える。
ネーミングって、案外、魔法の調味料かもしれませんね。
【材料】(1人分)
-調理時間:20分-
- ご飯:一膳分
- 鱈:ひと切れ
- 酒(鱈の臭み抜き用):5g(小さじ1)
- 片栗粉:適宜
- 揚げ油:48g(大さじ4)
- ニラ:半束
- 生姜:スライス1枚
- にんにく:ひとかけ分
[調味料パート]
- 水:15g(大さじ1)
- 濃口醤油:9g(大さじ1/2)
- 酒:7.5g(大さじ1/2)
- オイスターソース:3g(小さじ1/2)
- 砂糖:3g(小さじ1)
- 酢:5g(小さじ1)
- 鶏がらスープの素:小さじ1/2
【作り方】
- 鱈に酒(鱈の臭み抜き用)を振って10分置きます。
- 待っている間にニラは3cm幅にざく切り、生姜とにんにくはみじん切りにします。
- フライパンに油を張って強火で1分半加熱。鱈の水気をキッチンペーパーで拭き、片栗粉をまぶして、片面1分半ずつ揚げ焼きにします。かす揚げで掬って油をよく切ります。
- フライパンに残った油をオイルストッカーに戻し、生姜・にんにくを入れて中火で加熱。香りが立ったらニラを加えてしんなりするまで炒め、鱈と調味料パートを加えて水気がなくなるまで炒めます。
- 丼にご飯をよそい、上に4を盛り付ければ完成。
【一口メモ】
- この味付けは、元々はレバニラ炒め用のレシピをベースにしています。クセのない鱈とも相性抜群でした。
- 調味料を加えてから短めに炒めると“つゆだく丼”に。ご飯にタレが染み込んで旨いので、お好みで加減を。
- 砂糖をオレンジマーマレード小さじ1(7g)に代えると、ほんのり洋風に。お手持ちがあればぜひお試しください。