僕は1964年、昭和39年の生まれです。
「ふーん」──と言われて終わりそうですが古い方の東京オリンピックがあった年です。
と言われてもなお「へー」と言われて終わりそうな気がするなぁw
けどね、この東京オリンピックの年は日本が明らかにそれまでの日本と変わった転換点だったんですよ。
今では当たり前になっているいろいろなものが一気に普及した契機になった年なのです。
その原動力は外国からやってくる大量の人、人、人。
例えばユニットバス。
それまでのタイル張りのお風呂が工場でパーツを作っておいて現地ではそれを組み立てるだけという方式に切り替わったのもこの時。
時ならぬホテルの建設ラッシュでちまちま現場でお風呂の工事をしている余裕がなくなっちゃったのが理由です。
あと、トイレの男性、女性のマーク。
日本語が読めない外国人でも見た目一発で男性用か女性用かわかるので一気に広まりました。
それから冷凍食品。
ともかく大量の料理を提供する必要がある──という需要が起爆剤になって生まれました。
そして──サラダ。
それまでの日本の野菜は人糞などを肥料として栽培することもあり寄生虫の問題もあって火を通さずに食べるのには向いていませんでした。
けれど「外国人は生野菜を使ったサラダを食べる」ということはよく知られていてそのリクエストにお応えするべく化学肥料や農薬を使った農法に切り替わってキンキンに冷えたサラダが普及したきっかけになったのです。
当初のサラダに使われた野菜はキャベツにきゅうりと言ったところ。
その後、トマト、レタスなどサラダ向きの生食できる野菜が栽培されるようになりました。
そのうち「別に人参や玉ねぎなんかをサラダに入れても良くなくね?」なんて考えた人がいたのでしょう。
それまでも市場流通していたけれど生食されていなかった野菜までサラダに使われるようになりました。
更にバブル期とその崩壊を経て誕生したのが『おかずサラダ』。
「サラダには野菜しか使っちゃいけないなんて誰が決めた?」
そう考えた人が肉や魚も使ったサラダを考案。
もはや主菜と呼ぶにふさわしいサラダが爆誕したのです。
これには店の独自性を追求する居酒屋やファミレスといった業界も一役買っていた気がするな。
過日、僕は還暦を迎えました。
僕が生まれた年に食卓に広まり始めたサラダの歴史も早や60年。
振り返ってみると僕の人生はサラダと歩みを共にした人生だったのかもしれないなんて壮大なことを考えたりもしますw
今ではお刺身を使ったこんなサラダを供されても誰も驚かなくなったなぁ──
なんて感慨深く思いながらキンキンに冷えたマグロと玉ねぎのサラダを夕飯に戴きました。
【材料】(2人分)
-調理時間:3分-
- ビンナガマグロ:100g
- 新玉ねぎ:1/4個
- 黒ゴマ:少々
[ドレッシングパート]
- ポン酢醤油:30g(大匙2)
- オリーブオイル:12g(大匙1)
- おろし山葵:チューブ2cm分
- 塩、ホワイトペッパー:少々
【作り方】
- まぐろは薄くそぎ切りにします。玉ねぎはスライサーでスライスします。[ドレッシングパート]を合わせてよく混ぜます。
- 深皿にマグロと玉ねぎを盛り付け[ドレッシングパート]を回しがけて黒ごまを散らせばできあがり。
【一口メモ】
- 山葵のつんと鼻に抜ける辛味とポン酢の酸味は意外に好相性。けっこうクセになる味わいですよ。
- ビンナガマグロが安かったので使っていますが本来ビンナガの旬は8月~12月で秋に美味しくなります。使う刺し身は白身魚などなんでもありなのでできるだけ旬のものを使ってください。
- たまたま手持ちの野菜でサラダにできそうなものが玉ねぎだっただけで野菜もなんでもありです。例えば千六本に切った大根を使えば……ってそれはただの刺身かw けどドレッシングにひと手間かかっているのでまた違った味わいがあります。
- 仕上げに散らすのは胡麻以外に千切りの生姜、大葉、焼き海苔など薬味になるものならなんでもありです。