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厨房日誌

レシピでは伝わらないこと

手前味噌になりますが、以前ラジオドラマ原作の懸賞で次点を戴いた『雪のあしあと』という小説の主人公は妙な異能の持ち主です。

彼がもつ異能とは料理やそれを調理した調理器具に触れると調理の工程が脳裏に浮かんで精密に料理を再現できるというものです。

読んだ人の多くは『なるほど、チートな能力でレシピを再現できるんだな』と理解されたかと思うのですが(便宜上僕もそう表現していますし)、実際には少し違います。

料理本やネットで見かけるレシピには材料、調味料の配合と調理の手順しか書かれていません。

この情報だけで調理をしても「よく似た料理」は作れますが、「全く同一の料理」を作るには勘と経験とたぶん才能が必要なのです。

たとえば、書かれている分量通りに材料をそろえたとして調理にかかってみましょう。

「中火でコトコト10分煮ます」と書かれていたとしてキッチンタイマーで計って10分煮てもオリジナルと同じになるとは限りません。

まず、使用しているコンロの火力が同じではありませんし、そもそも中火ってどれくらいの火加減というところがレシピの作者の認識と合っていないと10分後の火の通り具合は全く異なります。

定義としては中火は鍋肌に炎の先がかかるかかからないかくらいの火加減なのですが、それより強くされる方が多い気がします。

更に「仕上げに青物野菜を入れてさっと炒めます」と書かれていても「さっと炒める」という表現がアバウトなのでどれくらい炒めれば良いのかわかりません。

僕の経験からいうと数秒炒めて火を止める「炒め足りない」方の方が多い気がします。

数秒は食材を投入して下がった鍋温が戻って来るにも足りない時間です。

さっと炒めると書いてある場合でも最低1分は火にかけて炒め。その後、鍋の余熱でどう火を通すかが腕の見せどころになります。

こういったことはレシピを書いた人に横についてもらって手取り足取り指導してもらわないとなかなかわからないところだったりします。

お母さんが嫁いでいく娘に料理を指南しているようなパターン、あるいはおばあちゃんが孫と一緒に料理をしてやるようなパターンですね。

ただ、それでも完ぺきではなく、「そこでお醤油をね、くるっと回し入れ……って、あんたそんなにどぼどぼ入れる人がありますかっ」てなことになる場合だってあるわけです。

だって、娘は娘、お母さん本人ではありませんから。

で、冒頭の小説。この能力の本当の凄さは「調理の工程が脳裏に浮かぶ」ことなのです。

つまりその料理人が隣について指導するのではなく、彼の目や耳や鼻や舌の記憶がそのまま脳裏に浮かぶ──すなわち、料理人の五感を共有するのですから、本人自身が調理しているのも同然となるのです。

あとは一定の調理技術さえ持っていれば全く同一の料理を再現することが可能です。

しょせん、レシピに書かれた情報はあくまでもデジタルな情報です。

実際に料理を仕上げていく場合はそれに加えて色を見、匂いを嗅ぎ、焼けていく音を聴いて、タイミングを図るというアナログな感覚が重要になってきます。

例えば「10分茹でる」と書かれていても7、8分で料理の色合い、匂いが頃合いとみれば火を止めなければいけません。

逆に10分経ってもまだ仕上がっていないと判断すれば茹で続ける必要があります。

美味しんぼチックな表現になりますが調理は「五感」を駆使して仕上げる作業です。

そのためには膨大な回数の反復で培われた勘と経験が必要になって来るのです。

加えて、俗に『センス』と呼ばれる才能も重要になってきます。

中でも反復によって培われた経験は重要だと僕は思っています。

確かに才能のあるなしでそもそものスタートラインが違っているというのは残酷な現実です。

けど、才能に恵まれていなくても、いやというほど同じ料理を作り続けたら誰だって上手になります。

やがては自分の五感に調理の工程が刷り込まれて、レシピではわからない勘所をきちんと押さえた皿が作れるようになると思うからです。

2019/10/21 Mon.

「雪のあしあと」をチェック。

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