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厨房日誌

守破離 メシマズさんの謎アレンジの心理について

たまにネットで話題になっているメシマズさん(なぜかとんでもなく不味い料理を作る人)の特徴のひとつに「謎のアレンジをする」というのがあるそうです。

曰く、

  • 「クリームシチューの具材が豚レバー」
  • 「ハヤシライスに大量のみかんを加えて煮込む」
  • 「コーンスープ風のおでん」

などなど。単体なら食べられる料理なのになぜかいらんアレンジを加えたがる人が世の中にはいるみたい。

今日は「なぜ、彼らは謎のアレンジに挑む」のかという心理について、ちょっとジャンルを変えて小説の執筆の世界に照らして考察してみたいと思います。

茶道や武道、それから芸事にも通じる言葉で『守破離』というのがあります。

これはその道を目指す者が精進する上で辿るべき道筋を表した言葉で、

  1. 『守』:型を守る
  2. 『破』:型を破る
  3. 『離』:型から離れる

様を指します。武道でも芸事でもそうですが初心者が学びやすいように型と言うものが用意されています。

  1. まずはきちんと型を守り、型通りにできるようになりなさい。
  2. 次に自分の型を模索し従来の型を破りなさい。
  3. 最後は従来の型から離れて自分なりの道を究めていきなさい。

といったほどの意味です。

でも、中には初心者なのにいきなり型を破ろうとする人がいるのです。

「ふん、そんな古い型に縛られた道なんざまっぴらだい。俺はもっと自由に生きるんだ」

セリフは物語の主人公めいていて格好良いですけど、まあ失敗します。

武道だと特に分かり易いと思うのですが、村の中で棒っきれを振り回していたガキ大将が「日本一の剣豪になる」とか言って、いきなり大きな町の道場に道場破りを仕掛けるようなものですから。

師匠からみっちり型を仕込まれて何年も修行を積んでいる門下生にかなうはずもありません。

もし、勝てたとしたらそれはもう天賦の才能、新しい流派の開祖になるような特別な人です。

ところが、勝ち負けがはっきり分かる武道だと自分の愚かさに早々に気付くことができるのですが、芸事になるといささか厄介です。

勝ったか負けたかの審判を下されても負けを下された側は未熟ですから納得いかないことが往々にしてあるのです。

「あいつは型に縛られた年寄りだから俺の芸の新しさについてこれないんだ」

こんなことを考え出すとこじらせますね。

酷い時は我流を何十年も通してもモノにならず、その道を始めていくらもいかない新人に追い越されるなんてこともざらにあります。

小説を書く人の中には『純文学』というものを特別視する人がいるのですが、中にはエンターテイメント、特にライトノベルのようにさらっと読めるジャンルを蔑視する人がいます。

曰く

  • 「文学は美しい日本語、正しい日本語で綴られるべきである」
  • 「一度読んで『ああ、面白かった』といってBOOKOFFに売り飛ばすような本を僕は書きたくない。手元に置いて何度でも読み返したくなるような作品を書きたいんだ」
  • 「あれはただのテンプレートをなぞっただけの薄っぺらい内容の作品じゃないか」

一見正論に見えるこれらの意見はある一つのことが欠如しています。

この発言者は『型』を守ることを経験していないのです。

というか、守ること以前に恐らく『型』を知ろうとさえしていないんじゃないかなと思います。

型を知る者は「美しい日本語、正しい日本語」に拘ったりしません。「(読者にとって)分かり易い日本語、読者に正しく伝わる日本語」に拘ります。

BOOKOFFに売り飛ばせる作品は少なくともその買値が付く作品だということに気付いていません。

テンプレート(型)をトレースしただけと言いますが、トレースできる技能が一朝一夕に身に付くわけではないことを知っていません。

だって、テンプレートをトレースしようとしたことがありませんから。

剣道や空手なら町に道場があってそこに通うことで型を学ぶことができます。

でも、文芸の世界ではなかなかそういう道場や学校がなくて我流になりがちでした。

近年はインターネットの発達でそういった型やシナリオ理論を指南するサイトも多数登場する幸せな時代が到来しています。

それでもなお、ネットの投稿サイトなどでは、型に沿ったアプローチを蔑視し、拒み、我流を通そうとする人を見かけます。

残念だなぁと思いますし、もったいないと思います。

そう言った人達の想いの底流には型に沿うと自作のオリジナリティがなくなり凡百の無価値な作品を書いてしまうのではないかという危惧があるのではないかと僕は想像します。

けどね、その想いは根本的に間違っています。

だって、その思いはどこまでも「自分ファースト」。ただの独りよがりだと思うからです。

読者がそれをどう感じるか? どうやったら読者を楽しませられるかという視点が抜け落ちていると思うからです。

失礼ながらそんな作品に読者が胸をときめかすとは僕には思えません。

うがった見方をするとそういった人たちは人一倍「失敗したくない」という思いが強いのかもしれません。

けどね、一本でも駄作や凡作を書きたくないなんて考えている人が小説家になれるわけがありません。

小説家たらんとするなら生涯に何百本も何千本もの物語を書くくらいの気概があって当たり前です(物理的に書けるかどうかは別として)。

黒歴史の千や二千書けなくてどうしますか(って、書きすぎか^^;)

だったら、十や百の習作を書くことに何のためらいがいるでしょう?

何十本も何百本も型に基づく修行を重ねてやがてその型を破り、最後には型を離れる。

そういった当たり前のプロセスを飛び越していきなり我流の芸を披露しようとする。

それでは村のガキ大将のチャンバラごっこになって当たり前だと思います。

で、本題に戻ります。

メシマズさんの謎アレンジにもこれに通ずる心理が働いているんじゃないかなぁと僕は思うのです。

料理の基礎をこつこつ勉強するのは嫌い。それより、誰もが思いつかなかったような料理を作ってみたい。

その心理には、独りよがりばかりでその料理を食べる人への気遣いが抜け落ちちゃっているんじゃないでしょうか?

文芸のジャンルと違って料理は基礎から教えてくれる学校がたくさんあります。

メシマズさんから脱却したいのなら、そういった学校に通って基礎を学び、やって良いアレンジとそうでないアレンジがあることを身を以て知るのが早道だと思います。

2020/03/23 Mon.

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