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厨房日誌

職人芸は衰退しました

2020年(令和2年)最初のブログは今はやりのAIというテクノロジーの行きつく先とその功罪について妄想してみます。なんか高尚っぽく聞こえなくもない響きがしますが、単なる雑談なので気軽にお付き合いください。

新しいオーブンレンジを買った時、取説やレシピ本を見て「チート過ぎるやろ」と思ったおぼえがあります。

材料の入った器を入れてこのボタンを押して下さい。20分後に茶碗蒸しができています

茶碗蒸しと言えばコンロの火を立ち消える寸前まで弱めた蛍火にしてとろとろ蒸していく料理。火加減が少しでも強いとすが立って残念な食感になるので細心の注意を払う必要があるちょっと難易度の高い和食です。

それがボタン1つでなんの勘もコツもいらずに作れるだと! けどね、試しに書いてあるとおりにしてオーブンの蓋を開けるとよくできた茶碗蒸しがそこにあったのです。なんか、悔しい。

19世紀半ば、アメリカにジョン・ヘンリーという黒人労働者がおりました(奴隷だったという説もあります)。

彼は大男で最強のハンマー打ちとして鉄道の敷設工事に従事していました。けど、産業革命の嵐がアメリカ全土に広がっていた頃の話、鉄道会社はとうとう蒸気式のハンマー打ち機を購入してしまうのです。

「これさえあれば、人件費がいらなくなるじゃん♪」と欣喜雀躍する経営陣と裏腹に労働者たちは恐慌に陥ります。

「やばい。明日にでも解雇されてしまうかも」

そこで立ち上がったのがジョン・ヘンリー。蒸気式ハンマー打ち機に勝負を挑むのです。そして、彼は機械に勝利し、解雇の憂いを払拭しました。が、……。試合後に倒れ心臓麻痺で帰らぬ人となりました。

ジョン・ヘンリーをモチーフにした芝居や小説、音楽は量産され過ぎて、今ではどこまでが史実でどこからが脚色なのかわからなくなっているそうです。ハンマー打ち試合だけでも様々なバリエーションがあってもはや伝説の域なのだとか。

けれど、産業革命期になにがしかそういったエピソードがあったのは間違いないのでしょう。

その後も、「これからは電気の時代だ」といわれて、蒸気が駆逐されていったように。「これからは石油の時代だ」といわれて、炭鉱夫が憂き目を見たように。似たようなできごとは幾度となく起き、それまで職場のエースと言われていた人達が一瞬でただのおっさんに成り下がっていったのだと思います。

21世紀も気が付けば20年が過ぎようとしています。近頃はAIという言葉をよく聞きますが、あれは本当にヤバい。ハンマー打ちや炭鉱夫など特定の労働者を失業に追い込んだかつてのパラダイムシフト(その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することby wikipedia)とは比べ物にならない失職の嵐がやってくると思います。

AI」はありとあらゆる「職場」から「従業員」の必要性を無に帰してしまう技術なのです。

コンビニの店員然り、電車の運転手然り、パイロットも、教師も、医者もAIで事足りるのです。というか、むしろ人間がやっていたら起こしてしまうミスが一切起きなくなるので人間よりずっと優秀で高品質のサービスが提供されるようになるのです。

レジの打ち間違いはなくなりますし、ヒューマンエラーによる事故もなくなります。

生徒の得手不得手を正確に把握して的確にコーチしてくれるので生身の教師では勝てなくなる日がくるでしょう。

それは僕が従事しているコンピュータの世界でも同じこと。AIは学習して自分でプログラムを組んでしまいますからプログラマーも必要なくなります。

残る職業があるとすれば、スポーツ選手や俳優のように観客の主観で「やっぱ人間がやるところを見たい」と思わせるものくらいじゃないかなと──思っていたのですが、遂に出ました「AI美空ひばり」。

ボーカロイドを制作するDAISYプロジェクトが発足したのは2000年3月ですから、プログラムに歌を歌わせる研究は実は結構歴史のあるアプローチではあるんですよね。

遠からず、歌や芝居もヴァーチャルの3Dで良いじゃんとかスポーツも如何にプログラムをチューニングしてバーチャル選手を強化するかに腐心する時代がやってくるのかもしれません。なんだかヤだな。

そういえば2019年の春から夏にかけてやっていたアニメ「キャロル&チューズデイ」でも作曲はAIが膨大なヒット曲データを分析して行うのが主流で、人間が作曲していると聞いたらびっくりする近未来が描かれていましたっけ。

芸術家ですらおそらくあと10年、20年で完璧に原作者のテイストを再現した作品を生み出す機械ができてしまいます。

だったら、人間はどうやって収入を得て食べていけば良いんだろうという命題に対するアンサーを僕は未だ持っていません。

もしかしたら、働かなくても食べていける時代になるのかもしれないけれど、そうそう甘くはないだろうし、そんな時代が到来したらどうするか、今すぐにでも自分たちの生活の有り様を考え直す必要があると思います。

AIにはもちろん、素晴らしい一面もあります。なにより絶対にミスをしません。悲惨な事故も医療ミスもボタン1つで美味しい茶碗蒸しができるようにあっけなく霧散するでしょう。

けどね、AIはしょせん機械なのです。そしてこれはSEとして断言できますが、機械は必ず故障することがあります。全停止のリスクを0にすることはできません。

ちょっと想像力を働かせてみればわかる話ですが、去年の千葉の台風のように何週間も広域で電気が来なくなれば電気を供給されて機能しているAIは間違いなく麻痺します。

AIが全ての職人芸を担うようになり、人々は何年も何十年もその恩恵に浴してしまったら……

もしいつかAIが使えなくなってかつての職人芸が求められた時、そこにはもう茶碗蒸しを作れる人は誰もいなくなっているんじゃないかな。という想像はさほど突飛なものではありません。

そんなインシデントが起きてしまったら茶碗蒸しだけでなく(いや、むしろ茶碗蒸しはどうでも良いのだけれど)、乗り物の運転も、医療も、買い物も何もかも麻痺して大惨事になることは容易に想像できます。

だから、AIがどれだけ普及したとしても、それが全停止した時に人間が手作業で代替できる技術や職人芸の伝承は怠ってはいけないと思う次第です。

これからやってくる時代が果たしてユートピアになるのか、ディストピアになるのか、それはその時代を作っていく我々次第だと思いますが、かつてない程の岐路に人類が立っていることは間違いないと思います。

2020/01/01 Wed.

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