山内一豊と聞くとなぜか「山内一豊の妻」というワードを思い浮かべる人が多い気がするのは気のせいでしょうか。
へそくりで名馬を買って馬揃えで信長の目を惹いて夫の出世を助けたという話が有名過ぎて「山内一豊? ああ、山内一豊の妻の旦那ね」なんて素っ頓狂な返事が返ってきそうな気さえします。
けど山内一豊さん自身のエピソードにも歴史に名を遺すものがちゃんとあったりするのです。
彼が土佐藩主になった時、漁師たちが鰹を刺身で食べているのを知って
「生魚による食中毒はよく聞く話だ。今後、鰹の刺身を食べるのを禁じるお触れを出せ」
と命じました。
赴任早々そんなお触れを出したものだから土佐の領民たちにとっては
「新しい領主様はめんどくさい」
というのが第一印象だったんじゃないかな。
けれど漁師たちもさるもの鰹のサクを焼くと見せかけて表面だけ炙って中身は刺身のままという技法を編み出しました。
これが鰹のたたきの発祥だと言われています。
なので鰹のたたきの歴史を語る時には山内一豊がセットで語られるのでちゃんと歴史に名前が残っているのです(あんまり嬉しくないなぁw)。
それでも山内一豊が出したお触れは「食中毒対策」を意識してのことですからまだ理にかなったものだったと言えます。
戦国の世が終わって迎えた江戸時代には何度も食に関する理不尽ともいえるお触れが出されています。
それは──「贅沢禁止令」。
贅沢なものはつつしみ食事は質素なものにしなさいというありがた迷惑なお触れです。
庶民たちはもちろん内心不満たらたらだったでしょうがそれ以上に打撃を被ったのは飲食店でしょう。
幕府が決めた「それは贅沢だから控えるように」という料理を商売物にしているお店は立ちいかなくなっちゃいます。
かといって正面切ってお役人にたてつくわけにもいかない。
そこで江戸の料理人たちは知恵を絞ったわけです。
例えばうなぎの蒲焼きは高級品でしたからいの一番にやり玉にあがりました。
その対抗策として細かく切った蒲焼を卵焼きに巻き込んでパッと見はただの卵焼きにしか見えない料理が売りに出されたりしました。
「うなぎの蒲焼きの卵巻き」
という料理名ではもろバレですし何より長い。
そこで頭文字の「う」だけ取ってその料理は「う巻き」と名付けられました。
諸説ありますがこれがう巻きの発祥と言われる説のひとつです。
時は21世紀。
たて続く物価高の影響でおいそれと鰻の蒲焼きも食べられないご時世。
卵で嵩増しにするう巻きにしたってまだまだ高値。
ならばいっそ中身は缶詰の秋刀魚の蒲焼きにしたってそう変わるまい。
なんてことを考えまして「う巻き」ならぬ「さ巻き(「さ」はさんまの「さ」)」なんてものをお弁当のお菜に作ってみました。
【材料】(1人分)
-調理時間:12分-
- 秋刀魚の蒲焼き缶:1/2個
- サラダ油:4g(小匙1)
[出汁巻き卵パート]
- 卵:3個
- 白だし:10g(小匙2)
- 水:30g(大匙2)
- 片栗粉:3g(小匙1)
【作り方】
- 秋刀魚の蒲焼きは缶から取り出して1cm幅の細切りにし、すぐに菜箸でつまめるように皿などに並べておきます。[出汁巻き卵パート]をボウルに合わせて泡立て器などを使ってよく混ぜておきます。
- 玉子焼き器にサラダ油を入れて強火にかけます。玉子焼き器が十分温まったら一旦火から外して濡れ部金に載せジュっと言わせます。音が止んだらコンロに戻して中火にかけます。
- 2.に[出汁巻き卵パート]の1/4程度を流し入れて薄く伸ばします。卵が固まってきたら奥1/3くらいの面に秋刀魚を並べて置き奥から卵を巻いて秋刀魚を巻き込みます。手前まで巻いたら菜箸で押して卵を奥に戻します。
- 3.に[出汁巻き卵パート]の1/4程度を流し入れます(先に焼いた卵を持ち上げてその下にも卵液を流し込みます)。卵が固まったら奥から卵を巻いて手前まで巻いたら菜箸で押して卵を奥に戻します。同じ要領であと2回卵を焼いて巻けばできあがり。
【一口メモ】
- ふわふわの出汁巻き卵の中から甘辛味の蒲焼きが出てくるというサプライズ料理です。味的にも出汁の利いた薄味の卵と蒲焼きは好相性ですよ。
- う巻きは本来鰻の蒲焼きを巻いているからその頭文字を取って「う」巻きなわけで秋刀魚の蒲焼きを巻いたら「さ」巻きというべきかな。
- 秋刀魚の蒲焼きは1/2缶分もあれば十分です。少量の蒲焼きで作れてしまうのがう巻きの良いところですね。残りは別の料理に使うかそのまま晩酌のつまみにでもしてくださいな。
- このレシピではお手軽に秋刀魚の蒲焼き缶を使っていますが本格派を目指すならば秋刀魚を捌いて蒲焼を作るところからチャレンジしてみてください(ちなみに写真で使っている蒲焼きは僕の手製です)。市販品に比べて甘さ控えめでぐっと上品な味に仕上がりますよ。