課題管理のお話の最終回。
よく、課題に直面した時に若手から「対応策の正解は何ですか?」的な質問を受けることがあります。
いやいや、テレビゲームやクイズ番組や学校のテストじゃないんだからというのですがピンと来ない様子。
ま、無理もないかなとは思います。
僕も含めて学校を卒業するまで「答えのない問題を解く」という局面に遭遇することがまずありませんから。出された問題には答えがあって当たり前とやっぱり思っちゃいますよね。
仕事として課題の管理をやっていく中でつくづく思うのは正解は模索するものではなく作られるものだということです。
その問題の解決法に正解はないけれど、悩んだり試行錯誤したりして辿り着いた結論をその問題の正解にしてしまうことはできるのです。
はたから見れば時にその答えは不細工だったり泥臭かったりするかもしれません。
でも、問題にケリを付けられるのであればそれは一つの正解に違いありません。
たとえば、コンピュータのハードウェアのどこかに不具合が発生して頻繁にシステムが止まってしまうトラブルが起きたとします。
そんな時、僕らは「不具合個所の特定を急ぐ」なんてことはあまりしません。バックアップを取ったらハードウェアを総とっかえしてシステムを再稼働させます。
不具合個所の調査は工場にもって帰ってゆっくり調べれば宜しい。システムを復活させる方が先です。
で、このケースの場合は総とっかえしてシステムを再稼働させた時点で実は課題は解決なんですよね。
不具合がどういう原因だったかというのはお客様にとってはどうでもいい話ですし、今後の再発防止策にしか役に立たない情報なのです。
あるいは、プログラムを作っていて数千パターンの組み合わせの中のどれかに必ず巧く稼働する組み合わせがあることが分かっているとします。
ならば、総当たりすることを考えます。
例えば1時間に10パターン試せるとします。人を20人使えば200パターン。
10時間で2000パターンですから、組み合わせが6000あっても2日程度で答えに辿り着きます。
仕事でやっている限り課題の解決法に美しさは必要ありません。必要なのはその方法が間違いなく解決に到れるか否かの1点のみ。それで問題が解消するのであれば泥をかぶるくらい安いものなのです。
課題解決は学校で方程式を解くほどスマートにいくとは限りません。でも、たとえ泥臭くても不細工な方法でもケリを付けられさえすればそれでOK。そうやって、正解は作られるのです。