観る人に思わず「美味しそう! 食べたい!」と思わせる料理のビジュアルのことを「シズル感」があると呼びます。
語源は英語のsizzle(お肉がジュウジュウ焼ける音を指す言葉です)。

元々は広告業界やマーケティングの世界で使われだしたようですね。
映像業界ではこのシズル感を出すのにいろいろ工夫が凝らされます。
冷たい飲み物ならグラスに霧を吹きかけて水滴を際立たせたり、料理に油を塗っててらてらと光る艶を出したり、被写体の後ろから光を当てて逆光で撮影することで湯気やしずくをキラキラ光らせたり。

本物の料理以上に美味しそうに見せるテクニックがいろいろ創出されました。
ならば、文章表現だけで勝負する小説世界でシズル感を出すにはどうすれば良いか?──以前、居酒屋を舞台にしたミステリーを書いた時に僕が直面した課題でした。
少なくとも味の説明をするのは下策でしょう。
説明されればされるほど、
「ああ、はいはい。わかったわかった」
と読者をうんざりさせると思うのです。

例えば可憐で見目麗しい少女をヒロインにした小説があるとしましょう。
彼女の容姿をくどくどと書かれたら読み飛ばしてしまう読者はけっこういると思います。
むしろ、ただ一文──「名を呼ばれて振り返ると様子の良い娘が立っていた」とだけ書いた方が読者の想像力を喚起しそうです。

試行錯誤の末、僕が辿り着いた結論は
「色に関する名詞を多用する。その名詞の"語感"から読者に料理をイメージさせる」
というものでした。

この"語感"というのが肝で要はその単語から読者が自然に抱く印象を利用して錯覚を生み出すというテクニックです。
シズル感から少し離れますが例を挙げてみましょう。
- a)その人はクロコのバッグからパスケースを取り出すと一枚の名刺を引き抜いた。
- b)その人はワニ革の手提げ鞄から名刺入れを取り出すと一枚の名刺を引き抜いた。
※老婆心ながら補足説明するとクロコ(=ワニ革)のことで実は同じ材質の鞄を指しています。
a)の文章からはバリバリのキャリアウーマン風の女性をb)からは少し年配で古風な印象の女性を想像する人が多いんじゃないでしょうか。
けど、どちらの文章にも容姿や服装を表現する文言は出てきません。
そして描写されている状況は全く同一です。

a)の文章は横文字を多用することで動作の主体が若くて仕事をバリバリこなすイメージの女性と錯覚させ、b)では漢字を多用することで落ち着いた古風な女性のイメージを付加しているのです。
さらに言ってしまえば、僕は"その人"と書いただけで女性とは一言も書いていません。
それでも「ああ、この人は女性だな」と読者は錯覚してしまうのです。
シズル感の話に戻りましょう。
先ほど紹介した居酒屋ミステリーで例えばこんな表現を使いました。
『トマト、茄子、胡瓜、冬瓜、夏の日差しに似つかわしい濃い"色合い"の野菜/"銀色"のバット/"薄桃色"の数種類の挽き肉/"薄茶色"の魚の骨──』
この段落では誰もが知っている野菜やバット、ひき肉、魚の骨という名詞と色を表現する名詞を組み合わせて読者の中でくっきりと厨房の様子がイメージできるように仕掛けています。

これを応用した例だとこんな感じ。
『豆板醤が硝子の瓶からたっぷりと掬われ、その艶やかな"火色"の赤が"キツネ色"に変じた香味野菜を覆う。』
単純な色名刺ではなく火をイメージさせる赤だとか、茶色ではなく"キツネ色"という風に色彩表現を工夫して脳内でイメージする画像に奥行きを持たせました。

この手法の延長線で例えば牡蠣のしぐれ煮のシズル感をこんな風に表現しています。
『"佃煮色"に染まった牡蠣の粒にとろみをつけた煮汁がかかって艶やかに光っていた。』
たぶん、広辞苑を引いても"佃煮色"なんて言葉は載っていないと思うのですが、僕的にはこれが一番直截的に牡蠣のしぐれ煮のシズル感を演出する表現じゃないかなと考えています。

映像にしろ小説にしろ実際に食べてもらうわけにいかない料理の美味しさを伝える方便としてシズル感というツールは考案され、工夫が重ねられてきました。
けどシズル感を使った演出は、やり過ぎると「不自然」→「気持ち悪い」という誹りを受けがちな方便です。
作り手としては「あんなに苦労したのに、その誹りは理不尽だ」と内心忸怩たるものもあります。
だからこそ、こんな料理を作っていると「なんかズルい」と言いたくなるのです。

『春らしい鮮やかな緑と火が入って色濃くなった卵の黄。そこに菜の花の可愛らしい黄色の粒が彩りを添えている』
──どんなに言葉や形容を尽くしても天然のシズル感には勝てない。
「つまんないことを考えていないで料理が温かいうちにさっさと箸を取れ」──皿の中の料理にそういわれているみたいで、ちょっと愚痴をこぼしてしまいました(笑)
【材料】(1人分)
-調理時間:8分-
- 菜の花:50g
- 卵:1個
- ごま油:6g(大さじ1/2)
- 鶏がらスープの素:小さじ1/2
[調味料パート]
- マヨネーズ:4g(小さじ1)
- 塩、ブラックペッパー:少々
[酒蒸しパート]
- 酒:15g(大さじ1)
- 水:15g(大さじ1)
【作り方】
- 菜の花はざく切りにします。卵はボウルに割り入れて[調味料パート]を加えて菜箸でよく溶きます。
- フライパンにごま油を入れて中火にかけます。これに卵を流し入れ、端が固まり出したら菜箸で寄せながら半熟に焼いて一旦皿に取ります。
- 2.のフライパンを洗わずに菜の花と[酒蒸しパート]を入れて蓋をし、中火で2分酒蒸しにします。
- 3.の蓋を取って卵を戻します。鶏がらスープの素を加えて中火にかけ、菜箸でざっくり混ぜながら和えればできあがり。
【一口メモ】
- 鮮やかな緑と黄色。彩りも美しい炒め物です。しかし、炒め油にごま油を使うだけで中華風に感じられるから不思議ですね。
- 菜の花は意外と味も香りもしっかりとある、野菜です。炒め物にするとそれが際立つのが面白い。味付けは、やはり醤油系の甘辛ではなく塩炒めがおすすめです。
- 工程3.はお酒だけだと菜の花が焦げそうなので水を加えています。工程4.に移る時は火を止めずに中火のまま卵、鶏がらスープの素を加えて水気を飛ばしながら仕上げてください。

